子育て - ベビーマッサージROOM -
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人間になれない子どもたち―現代子育ての落し穴 |
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価格:¥ 1,575(税込)
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【私達の評価】 4.0点(5点満点)
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【私達はこんな商品も買っている】 しゃべらない子どもたち・笑わない子どもたち・遊べない子どもたち―テレビ・ビデオ・ゲームづけの生活をやめれば子どもは変わる (危険警告Books) |
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【私達のコメント】
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01.
子どもの危機については、だれもが異論がないのではないか。問題は、原因がどこにあり、なにをしなければならないかです。
子どもにどういう変化が起きているのかの「実証的・科学的」データを紹介し、瀬川氏としての解明をしています。子どもの発達環境の変化等を指摘していますが、私が特に共感できたのは、家庭の教育力の崩壊です。このことは第1章で触れ、第2章で詳細に展開されています。まるで、子どもが子どもを育てている、深夜までコンビニに出入りし、ゲームを、ビデオを、テレビを長時間視聴し=メディア漬け、朝ご飯はまったく食べないという若者の当世あたりまえの生活を親が送り、子どもにも同じ生活をさせてなんら問題を感じない、この異常さ。子育ての社会化と、テレビ視聴時間の制限等を訴える筆者に共感するところが多くありました。
子どもがおかしい、と感じている大人、本当は、今時の親に是非読んでもらいたい1冊です。
02.
教育の現場で働いていると、明らかに子どもたちが変わってきていることを痛感する。 今日の青少年をめぐる状況について、教育学者・教育心理学者と呼ばれる人々は、それぞれの学問を背景とし、それに支えられた立場から、現状を説明しているため、全体像が見えていないと思う。 つまり、それぞれの専門分野という「窓」から状況を把握し、その立場から見えている現象の説明に終始しており、全体像を合理的・科学的に説明できていないというのが私の見解である。その点で、本書は推論が多いとしても、教育現場の事実と教育関係者の実感とに共感できる部分が多い。 本書の課題を挙げるならば、論証の展開が実証・検証主義的な立場に立脚しているかのごとき表現をとりながら、実際には因果関係を実証できていないで、推論に終わっている点が本書の評価を低下させる最大の根拠であろう。 それでも、因果関係が科学的に証明できなければ事実は存在しないという論法は成り立たない。賢明な読書にはご理解いただけると思うが、例えば、水俣病の原因物質である無機水銀の有機化過程が実証されたのはここ数年前であった。それでも1970年台には因果関係の推定が確定しているのである。 今日、若者が起こす事件の背景に、メディア接触が関わっている可能性は否定できない。科学的な論証ができないからといって現実に目を塞ぐことはもう許されないのである。ましてや、乳幼児期の子どもに対する人体実験的なメディア接触は是非避けるべきであろう。
03.
教育の現場で働いていると、明らかに子どもたちが変わってきていることを痛感する。 今日の青少年をめぐる状況について、教育学者・教育心理学者と呼ばれる人々は、それぞれの学問を背景とし、それに支えられた立場から、現状を説明しているため全体像が見えていないと思う。 つまり、それぞれの専門分野という窓に立脚し、その立場から見えている現象の説明に終始しており、全体像を合理的・科学的に説明できていないというのが私の見解である。その点で、本書は推論が多いとしても教育現場の事実と教育関係者の実感と共感する部分が多い。 しかし一方で、本書の論証の展開が、実証・検証主義的な立場に立脚していかのごとき表現が多用されていにも関わらず、実際には因果関係を実証できていないで推論に終わっている点が本書の評価を低下させる最大の根拠であろう。 それでも、因果関係が科学的に証明できなければ事実は存在しないという論法は成り立たないことは、賢明な読書にはご理解いただけると思う(例:水俣病の原因物質である無機水銀の有機化過程が実証されたのはここ数年前であった)。 あらゆる若者の事件の背景にメディア接触が関わっている可能性は否定できない。科学的な論証ができないからといって現実に目を塞ぐことはもう許されないのである。
04.
著者は序文で「できる限り科学的・実証的に捉える」と言っている。だが、この書で信頼に足るデータは、序盤で出てくる子どもたちの運動能力の低下くらいなものであり、そこから先は著者のただの想像で話を進めている。とてもじゃないが、これが「科学的・実証的」に捉えられたものとは言えない。 例えば1章にある「19世紀スタイルのままの学校」という項では次のような事がかかれている。「かつて情報の少なかった時代、生徒は教師の持つ知識・情報に対して畏敬の念を抱いていた。だが、メディアの発達などにより、教師以上に知識を持っている子どもだって多くいるようになった。教師は畏敬の念を持たれる存在ではない。それが、学級崩壊などにも繋がっている」という。だが、ここで出されているデータは、高校・大学の進学率だけである。これはただの想像ではないのか? 教師に対する念など、意識調査をすれば簡単に出せるはずだ。それすらしていないのに断言するのはどうだろう? そもそも、この書には、「少年の問題行動」などという表記が多く出るのだが、少年犯罪そのものは戦後、一貫して減少の一途を辿っている。こういうと、決まって出てくるのが、「キレる少年」という表記なのだが、これはそもそも「キレる」の定義が曖昧である。また、言葉自体も最近になって「発明」された言葉なのである。そりゃ、昔は「キレる」少年なんかいるわけがない。 著者は「メディアリテラシー云々」なども言っているが、まず著者のメディアリテラシーをまず疑いたくなる。先の「キレる」などもそうであるし、森昭雄の「ゲーム脳」であるとか、片岡直樹の「自閉症類似」であるとかという、異端の意見のみをさも主流の如く喧伝するのはいかがなものか? 一般的な見解をまずは示すべきではないのか? 3章「バーチャル体験先行の危機」では、「バーチャル体験だけで命の重みが分かっていないから、重大事件が起きる。森昭雄氏の書にもカブトムシが死んで悲しんでいる親に子供が「電池を取り替えれば良いよ」と言った話が紹介されている」などと書かれているのだが、その森氏のエピソードは都市伝説として広まっている言葉である。その程度のことすら調査しないでそのまま掲載する者に「メディアリテラシーが貧困」などと言われたくは無い(ちなみに、134頁で川島隆太氏の話が出ているが、これも川島氏の調査をかなり恣意的に切り取ったものだと言う事は言及しておく)。 著者は「まっとうな人間を育てる」というのだが、著者の言う「まっとうな人間」とは何なのだろう? 何よりもまずそれがわからない。そして、例えそれが明らかになっていたとしても、今度はそれが「本当に」良いのかどうか、という疑問が残る。そこから考えねばなるまい。以上、極めて問題の多い書だと判断する。
05.
私が幼少の頃、テレビは「何曜日の何時」に見るものだった。それが今は飛躍的に時間が延びている。ビデオが出た時も、テレビゲームが出た時も、「これは良くない」と言われつつ、具体的に何が、どの程度悪いのかは不明のままだった。それがかなりデータを伴って示され、日本の歴史に沿って子どもの変化をクリアーに見せてくれた。大切なのは「廃絶」なのではなく「つきあい方」なのだ、主体的付き合いなのだ、ということ。煙草の禁煙・減煙にも通じるものがあると感じた。 今、子育てをされている方に是非おすすめ。
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